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2015年1月25日 (日)

食べない人

  
そういえば、今年の目標をまだ言ってませんでした。
 
今年の目標は、「自分の皿の周りを汚さないこと」です。
 
料理を掴んで手前に持ってくるまでにポロポロとこぼすんでしょう。
他の人のテーブルは終始キレイなのに、ボクだけ頻繁におしぼりで掃除してるという場面が多々あります。
鍋料理なんか食べた日には、鍋と皿までの間がビッチョビチョになります。
 
 
。。。。。。。。。。。。
 
 
 
「こういう人間になりたい」という一つの理想像みたいなのがありまして。
 
ボクの場合それは、「飲み会で箸の進みが遅い人」です。
 
ボクはとにかく、目の前の食べ物を確保して早めに食べてしまおうという動物的本能が強いので、サラダにしても揚げ物オードブルにしても鍋料理にしても、運ばれた途端、自分の分は皿に盛ってすぐ食べてしまう。
しばらくは空いた皿が残るだけで、「次の料理まだかなー」と思いながらヒマになって、他の人の会話に入ったりする。
 
ないものねだりというか、たまに「話8:食事2」みたいな人を見ると、そのガッつかなさが良く見えてしまうのだ。
 
特徴として、
 
・え?まだだったのというタイミングで割り箸を割る。
(こっちはもう取り皿交換するくらい食べてる)
 
・手元から口までの時間が長い。
(料理を掴んで、いよいよ食べるのかと思いきや、「それってですねー」とかまた会話に入ってしまい、もう一度皿に戻したりする)
 
・最後までお通しが残ってたりする。
(食べないんだったら断れ)
 
・「コレ下げてもらうよー」と促されて、急いで残った料理を取る。
(しかし取っただけでまだ食べない)
 
・見かねた人に取り分けてもらう
(○○くんコレ食べてないんじゃない?もう下げちゃうよ)
 
 
基本的に食に関心がないんでしょう。往々にして細い人が多いし。
 
 
 
 
「誰か唐揚げ一つ取ってない人ー!?」
 
「あ、ボクです!すみません!」
 
「お皿貸してー、取ってあげる」
 
 
のような展開が、人生の目標です。
 
 
 
 

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2015年1月20日 (火)

包丁

  
ウソをつく、適当なことを言うことを日本語では「ホラを吹く」と言いますが、
 
中国語では「吹牛」(チュイニュウ)と言います。
 
なんで牛を吹くんだ。
 
 
。。。。。。。。。。。。
 
 
 
最近聞いて面白かったのは、友人Aくんの話。
 
 
Aくんの家に彼女が遊びに来た。しかし、途中で痴話ゲンカが始まってしまい、興奮した彼女の方がヒステリックになり、なんとも緊迫した空気が流れ出したのだという。
 
そこでAくん、こっそり台所に向かい、バレないように包丁をそっと別の場所に隠しておいたのだという。
 
曰く、「あの時の彼女の精神状態では、衝動的に刺されかねない」とのことだった。
 
 
 
ボクの家には彼女が遊びに来ることはしばらくないにしても、急に強盗が入ってきたり、友人を招いた上でケンカが勃発し殺傷事件に発展するなんて可能性もゼロではない。
 
そう考えると、Aくんの危機回避シミュレーションも冴えたるものだなと思えてくるのだった。
 
もう料理もしなくなったし、包丁なんて身近に置いてなくても困らない。考えてみると、キッチン脇に立てかけてあること自体、生死を分けるようなことではないか。
 
よし、じゃぁ、簡単に犯人の手に渡らないように、トイレの便座上の収納棚にでも隠しておこうか!
これで大丈夫!Anybody bring it on!(誰でもかかってきやがれ!)
 
 
 
それでもし、ボクが刺殺体で発見されて、部屋は荒らされておらず、ただトイレの収納棚だけが開いてたような日には、警察は、このブログの読者が犯人だと踏むだろう。
 
こうやって普段からダイイングメッセージを忍ばせておく。これこそが究極の危機回避シミュレーションなのだと自分を褒めたい気持ちになる。
いや待て全然回避できてない。ダイイングとか言ってる。
 
 
 
 
 
 
 
というか、ここまで書いたら意味がない、ということを、ここまで書いて気づきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年1月16日 (金)

ロシアン○○

   
中国のコンビニやスーパーで売ってるウーロン茶は無糖と微糖がある。
(ラベルの隅に小さく書いてあるだけ)
 
ボクは甘い飲み物がキライなので微糖なんて飲みたくないのだが、ウーロン茶なんてどれを選んでも同じだという先入観があるため、たまに間違えて買って飲んで噴出すようなことが多々ありました。
 
2リットルのペットボトルで微糖を買ったときなんてもう最悪でした。
 
 
。。。。。。。。。。。。。。。
 
 
 
先日行われた会社の忘年会では、催し物のゲームとしてロシアン寿司があった。
 
一つだけワサビたっぷりの寿司が混ざっていて、それを5人くらいで食べて、周りはワサビ入りを引いた人を当てるというゲーム。
 
普通の寿司を引いた残り4人は、ワサビ入りを食べたような演技をして、全員がリアクションしてるのを見てホンモノを当てるのだ。
 
コレがけっこう盛り上がる。店のメニューになくても頼めば作ってもらえるので、皆さんも宴会などで一度お試しください。
 
さすが、社会人は大人だなと思ったのでした。
 
 
思い出すのは学生時代、学友会の集まりで年に一度催される合宿に参加したことがある。
 
夜は大人数での飲み会が開かれるのだが、イベント実行委員会だったボクは、その事前企画会議に呼ばれたのだった。
 
先輩主導の中、飲み会の出し物として毎年恒例のロシアンシュークリームなるものがあり、今回もそれをやりましょうかという話で進んだ。
 
「いつもどおり、一つだけ激辛シュークリームを用意します。それを引いた人は、他の4人と同じようにノーリアクションして頂き、周り人たちは、誰が当たりを食べてるかを当ててもらいます」
 
 
「え!?当たりを引いた人が他の人に合わせるんですか!?それって逆じゃないと難しくないですか!?」
というボクの意見は、ちょっと何言ってるかわからないですねという感じでスルーされたまま会議は終わり、合宿当日を迎えたのだった。
 
案の定、一人だけ明らかに涙目になってる人が出て、最終的に口から吐き出して、もう当てるもへったくれもなかったのでした。バカじゃないのかこの大学。
 
 
毎年恒例って、毎年同じことやってるんだろうか。
 
ボクは卒業まで勉学に集中しようと気持ちを新たにした一件でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年1月14日 (水)

バス浪漫

  
そういえば上海にいた時、こんな話がありました。
 
街の方で買い物して、夜、宿舎に帰ろうと市バスに乗ったのだが、間違えて、似たようなルートを走る別のバスに乗車してしまった。
 
気づけば、家から少し離れた違う道をどんどん遠くへ進んでいくバス。言葉もわからず、降りるのも怖くなって慌てていると、様子に気づいた運転手が、「間違えて乗ったのか?どこで降りたいんだ?」と聞いてきた。
 
どこどこで降りたいんですとなんとか伝えると、「あぁそうか。じゃ、そこ寄ってやるよ」と言って家の近くまで連れて行ってくれた。
まだ終点ではなかったのだが、車内にはボク一人しかもう乗ってなかったので送ってくれたのだろう。
 
あのときの運転手さんには感謝してます。ありがとう。
 
ただ、ボクの家に寄ったせいで、正規ルートを通っておらず、停留所であのバスを待ってて来なかった人がいっぱいいたと思います。
 
こういうことが日常で起こるのも中国です。
 
 
。。。。。。。。。。。。。。。
 
 
 
東京に来ても、未だにバスの乗り方に慣れない。
 
バスとは、走るほど料金表が変わっていき、最初に乗車券をとって、その番号が表示する料金を降車時に払う、というのがボクの感覚なのだが、こっちのバスは乗車時に一律のお金を払って、降りたい駅で降りればいいというスタイル。
降りるときも後ろのドアからだし、緊張の連続である。
 
 
ボクは小さい頃、習い事に行くのも街に出るのもバスを使うことが多かった。
 
今でこそ、ICカードをタッチして便利に乗り降りができるけど、当時は現金かバスカードでの支払いだった。
 
両替のタイミングというのが難しく、バスが停まってる間に手際よく済ませないといけない。
 
降りる時に両替したら後ろがつかえるし、停留所近くでしようとすると、他の乗客と混ざったり、降車と間違えられたりする。意外に切り出すのが難しいのだ。
 
バスカードを購入する時なんかはもっとディフィカルトモードで、運転手の邪魔をしないようタイミングを読む技術が求められる。
 
「あの・・・バスカード5千円分」 「ちょっと後にして!」とか、露骨に今言うなよオーラを出されたり、お釣りを受け取らぬうちに運転再開されてしまい、しばらく料金箱横で立っていた経験なんて、今にして思えば郷愁の極みだ。お釣り返してくれないんじゃないかとか。
 
 
赤信号を予想し、「今、ここだ!」とタイミングを見て後ろの席から向かったものの、「バス動きますよー。危ないから立たないでねー」とかアナウンスされたりして、童心ながら、だるまさんが転んだみたいだなと思ったのでした。バックミラー付きだるまさん。
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年1月13日 (火)

ガラス製品

  
シャッターを押すときの、「ハイ、チーズ!」。
 
なんでチーズなんだよと思って久しいのですが、中国語の掛け声は、
 
「一、二、三、茄子!」
 
なんでナスなんだよ。
 
 
。。。。。。。。。。。。。。
 
 
 
この年始、上司の家に呼んでもらった。
 
ご馳走してもらい、お土産までもらい、満足なはずだったのだが、実のところ、終始落ち着かなくて早く帰りたかった。
 
といっても、緊張してたからとか雰囲気が悪かったとかじゃなくて。
 
立派なその家には、壁にオシャレな皿が並べて掛けてあった。
上司は旅行好きで、世界各地で骨董を集めてはコレクションしていると聞く。その皿もおそらく値のあるモノなのだろう。  
 
で、また強迫神経症みたいな話になりますけど。
 
その壁にかけてある皿にしても、バーのグラス棚や飲食店の厨房や、ホームセンターの食器コーナーなんかにしても、ボクはこうした、ちょっと地震が来たら落ちて壊れてしまうような配置で置かれてるガラス類なんかを見ると、すごく不安で落ち着かない気持ちになってしまう。
 
地震、もしくは不注意で手が当たって落ちて割れようと、掃除するのも損するのも上司や店員なので、別に自分が気を揉む必要はないのだが、どうにも気になってしまう。
 
ただ、回転寿司なんかで、高く重ね過ぎてバランスが悪くなってるような皿を見るけど、あれはプラスチックなので大丈夫なのだ。
 
 
いつかホントに地震が来て、家で家具に押しつぶされて致命傷を負おうと、ボクはきっと薄れ行く意識の中で、上司の家の高価な皿やカクテルバーのグラスなんかを心配して、それが最期の思考となるのだろう。
自分の頭が本棚でカチ割れようと、昨日行った居酒屋の、不用心に並べられたワイングラスが全部割れたんじゃないかとか心配しながら息を引き取るのも相応しそうだ。
 
 
そのまま未練を残した浮遊霊となり、気づかぬまま夜な夜な上司の枕元に立ち、上司の頼みを受けた霊媒師に「除霊するほどでなし」とか言われるんじゃないか。
 
 
 
 
いやまぁそんなことまで別に飛躍はしないですけど、どうしても落ちつかないというのは難儀な病気です。
 
単にガラスが割れるのが怖いというだけじゃなくて、割れたらもったいないじゃんというセコさも心のどこかにあるような気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年1月12日 (月)

日本地理

 
あまり知られてないことですが、中国では、北京出身者と上海出身者を厚遇するという暗黙の了解があります。
二大都市の発展を推進する目的だろう。(だから未だに地方との格差がすさまじい)
 
就職や出世で有利なのはもちろんのこと、例えば、入学試験の繰上げ合格なんかで、上海の人と地方の人が同点で並んだとすると、出生地のアドバンテージの差で、上海の人が無条件で上げられるようなこともあります。
 
 
。。。。。。。。。。
 
 
 
普段は素通りするガールズバーの呼び込み。
 
今日の女性は寒さで凍えていたので、可哀想になって付き合ってあげたのでした。
 
カウンター越しにカクテルを作ってくれながら話をするだけなのだが、今日のお姉さんは超絶バカで疲れた。
 
会話に詰まったときの助け船である、「ボクの出身はどこでしょう?」クイズを出したのだが、地理に疎いというのもおこがましいほど日本に詳しくない人だった。
 
「東京から見て、右?左?」と聞かれるし、「左。というか西」と答えたら、「福島!」と返ってきた。
 
「島根!」という回答に、「惜しい。そのちょっと下だな」と誘導すると、「鹿児島!」と返された。
 
「語尾が、~じゃけぇ」とほぼ解答を提供すると、「うーん。高知!」
(高知は土佐弁ぜよ)
 
この人、桃鉄やったらあさっての方向に進み出すかもしれない。
 
「山口?」 「惜しい!もう一つ隣!」 「岐阜!」
 
ヒントを与える度に答えから遠ざかっていく、珍しい人。テンポはいい。
 
 
 
「ヒント!お好み焼き!原爆ドーム!カープ!」
 
「和歌山!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジンバックがバックするかと思いました。
 
 
 
 
 
 

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2015年1月 2日 (金)

脳内再生

    
レンタルCD店とかで音楽アルバムを探してるとたまに、タグやバーコードの位置が悪すぎて収録曲が見えないモノがある。
 
絶対そこにつけないといけないわけでもないだろうに、あぁいうことをする人はいったいどういう神経なんでしょうかね。借りる気にならない。
 
あぁいうことする人は、社会不適合者です。
 
 
。。。。。。。。。。
 
 
 
今でこそ、聴きたい音楽があればCDを買ったりネットで聴いたりできるけど、音楽に興味を持ち始めた小中学生の頃なんかは、限られた小遣いの中で満足に買うこともできず、他に手に入れる方法もなかった。
 
父に頼んでも、アンチJ-POPだったので小遣いの特別付与もなかった。
(バッハやモーツァルトとか芸術音楽なら買ってもいいよと言われたけど、要るかそんなもん)
 
 
そこで、当時のボクは「脳内再生」なる特技を磨き、救われない環境を克服したのだった。
 
CDショップなんかには、ヒットチャートが無料で聴ける視聴コーナーがあるので、そこで目当ての曲を繰り返し聴く。(ものすごい集中力で10回くらい聴く←迷惑)
 
目では歌詞カードを何度も見て覚え、耳ではイントロから最後まで、ボーカルの声からリズム、ドラムその他楽器の音まで、完全に覚える。
 
あとは、自分の好きなときに頭の中で再生する。
 
これを、「脳内再生」と呼ぶ。(カービーもビックリのコピー能力)
 
 
音楽番組やコンビニなんかでその曲がかかってたりすると、それは微調整のチャンス。
 
 
「ちょっと聴かせてあげようか?」とできないところが残念だが、我ながら完璧なコピー能力だと自負するほどである。今でも再生できる。(サヴァン症候群かもしれない)
 
 
 
脳内将棋や脳内テトリスもできるし、ボクはきっと無人島なんかに単身流れ着いてもヒマしないんでしょうな。(90年代のヒットソングばっかりだけど)
 
 
 
自分の能力自慢と逆境打破のバイタリティを自慢するつもりなのだが、この話をするとだいたい、少年時代の貧乏エピソードに捉えられてしまうのが悲しいトコです。
 
 
いや、みんなやったことないだけで意外とできます。
 
 
 
 
 
 
2015年も幸多き年でありますように。
 
 
 
 
 
 
 
 

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